ぼんやり日記

毎日の記録

星の子

◎2020年10月20日(火)

 

 ここ最近ずっと、やる気が出ない。やらなければいけないことを先延ばしにして、もっとやりたくなくなる負のループ。世の中で自分だけ置いて行かれてるんじゃないか、とか鬱々考えてしまう。あっという間に年末になっちゃう。

 

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 昨日はテアトル梅田に、芦田愛菜主演の「星の子」を見に行った。愛菜ちゃん…というか、芦田さんの演技がもう子役のそれじゃない。表に出す感情を抑えて、目で訴えてくる。岡田将生って裏の顔がある爽やか好青年役がやっぱり似合う。にしても、どんな宗教であれ他の生徒の前で、特定の家庭の宗教を否定するのは教師としてよくないよね。

 

 私の親も某新興宗教に入っていて、私も子どもの頃は主人公のように集まりに参加したり、歌を歌ったりしていたので、既視感しかなかった。微笑んでいるのに目が黒々として、口角がきゅっと上がった黒木華や、焼きそばを焼いて子どもたちのために汗を流す高良健吾。子どもから見れば、いかにもいい人。これも既視感。外からは悪質だとか、気持ち悪い、と言われていても、穏やかで優しい人が多い。

 

 現世で救われるとされる宗教が今強いんだろうな。死後に報われるとか、来世のために祈るとかでは間に合わない。星の子では、主人公の家は信仰を深めるにつれ、どんどん貧しくなっていった。主人公の病気を治したとされる特別な水を発端に、特別な品を次々と揃えていく。今、報われるために。信仰というより極端に通販にのめり込む人って感じもするが。大抵特別な品を買うエピソードなので。

 伊達眼鏡のエピソードなんかまさにそう。海外の俳優に一目惚れしてから「みんなが不細工に見えるの」。子どもらしく笑えてしまうエピソードだが、父は主人公のために特別な眼鏡を購入する。「これを付ければ世界の歪みが矯正される」と真顔で言う。一方、主人公の友人は、「変な眼鏡。あんたのは病気じゃなくてただの面食い!」と笑い飛ばす。人と違うところは治さなければいけないのではなく、当たり前の個性であり、笑っちゃえること。両親の価値観は絶対的なものではない。異なる価値観を教えてくれる友人の存在が救いだ。

 

 そんなこんなで家は貧しくなり、長女(姉)は出て行ってしまう。「だるそうなため息」が好きな男の元へ。いつも笑顔で優しい宗教の輪の中と真反対の人をあえて選んだのか。一家の状況は外から見れば悪化しているはずなのに、幸せそう。"優しい"仲間たちから支え、慰められ、連帯を深めていく。食卓に並ぶ料理も疎かになり、他人の子が食べ残した寿司を平然と置くようになる。本当の家族と宗教の輪の中の家族の境界が曖昧になっていく。

 

 主人公はずっと「うちはよそとは違う」とふわっと感じつつも、そこまで境界を意識せずに暮らしてきた。でも、好きな人からの直接的な否定が、守られてきた世界を砕く。冷たい視線を突きつけられ、その溝をはっきり自覚する。それでも、両親に対し、姉のように反抗するでもなく、親戚のように諭そうとするでもない。否定も肯定もしない。親であっても、自分と他人は違う人間。自分は自分の考えを信じ、たとえ両親と違う考えだとしても一緒に生きていく。尊重するだけで、飲み込まれない。大人になる覚悟が伝わるラストだった。

 

 その後シネリーブル梅田に移動して「スパイの妻」を見ようと思ったら、平日の昼間なのに既に満席だった。公開したばかりの話題作だからそりゃそうか。年配の方がたくさん並んでいた。わいわい楽しそうだった。

 

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 お気に入りのジェラート屋さんに行った。チョコを食べると、精神が少し安定するのは本当みたい。