ぼんやり日記

毎日の記録

梅田、中崎町、天満

2020年11月24日(火)

 

 ブログを書こう書こうと思いつつ、気が付いたら1ヶ月とか経っている。これ、私の先延ばしにする生き方まんまだ。ブログの更新を人生に例えるのは飛躍しすぎだけど、そんな人間であるのはたしか。家に帰ってからお風呂に入るまでが動けないくらい億劫で、入ってしまえば温かい湯最高~ってなる現象に例えると、もう少し軽やかだろうか。

 

 最近、上司が仕事中に転んで骨折した。入院は1週間程度らしいが、「これを機に」と、いきなり重めの新規案件を引き継ぐことになった。断る権利はない。うーん、何だか腑に落ちない。

 

 新型コロナの感染者が増える中で、自分の直接の知り合いはまだ誰も感染していない。ツイッターのフォロワーでさえ。言えないだけかもしれないけど。後遺症のことを考えると絶対に罹りたくないとは思うものの、世界的な共通体験に加われていない疎外感というか、どこか他人事に思えてしまう不思議な感覚がある。

 

 そんなことを思っていたら、昨日昼寝から目を覚ますと喉がガラガラになっていた。口開けて寝て乾燥したのかな~と思いつつ、夜は中崎町に芝居を見に行った。商店街に入ってすぐの焼き芋屋に行列ができていた。アーケードをずーっと進んでいくと、天神橋筋商店街にたどり着いた。大阪駅から環状線で一つ隣の天満駅。ちゃんと地図で見たら梅田から中崎町、そして天満、扇町に続いていると認識できるけど、歩いて初めてこの道とこの道がこうつながっているのかーと実感できる。電車に乗って移動していると、地理的な距離・位置の感覚がわからなくなる。中崎町天神橋筋が地続きにあるって常識だろうけど、私の中ではつながっていなかった。それぞれ単独で認識していた街が、自分の足で歩いて、地理として落とし込めたというか。この喜びを感じられるのなら、どこまでも歩けそうだと思った。伊能忠敬の地図作りに対する気持ちの原点ってこういうことじゃない?知らんけど…。

 

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 明け方、喉がガラガラからヒリヒリに変わり、目が覚めた。脇に挟むタイプの体温計で図ると36.8℃。微妙だけど、念のために仕事を休んで近くの内科に行った。実家を離れていたので8年ぶりくらい。朝9時からの診察だが、30分前には待合室に高齢者がすし詰め状態。そんな光景を思い出して早めに着いたら、連休明けなのに私が一番乗りだった。開室するまで入口で待っていると、通りすがりの自転車に乗った女子高校生が「また平凡な女子やん?私からしたらモエは平凡な女子ちゃうねん」と言っていた。どういう文脈かわからんが、相手を褒めているのかな。

 

 後から点滴を打ちに来たおばあさんと、親子連れら3組が来たものの、長椅子に一組ずつ座れる余裕があった。やっぱりコロナ以前の高齢者にとって病院は不要不急のサロンだったということか。でも、不要不急という言葉はそれぞれの価値判断を勝手に定めるようで、なるべく使うべきではないな。

 

 待合室のテレビは「大阪は陽性率が高すぎる」「大阪は危機的状況」と伝えていた。そう、そんな危機的状況にいる私たち…。診察はものの20秒ほどだった。「扁桃炎やね~。心配ないわー」とのこと。おでこに当てるタイプの体温計で36.3℃だった。脇よりおでこで図った方が低く出るんじゃないかしら。とはいえ、コロナの疑いはおそらくなさそうで、ほっとした。

 

 この病院は私が小学生の頃から通っていたかかりつけだった。子どもの頃を知っている人間に、まだ実家にいる28歳の人間として自分を見られたくない、などと考えてしまった。相手はたくさんの患者を観る町医者で、個人個人になんとも思っちゃいないだろうが。大人になると、自分を知らない人の方が安心できる。うーん、うじうじ面倒な人間である。